再会







すべてのことは江戸で聞いていた。長州が勝ったことも、高杉が労咳で倒れたことも。
駆けつけたい気持ちはあった。戦においても、高杉においても少しでも力になれたら、と。

しかしできなかった。

江戸で倒幕に向けての活動をする。

それが高杉との約束だったから。長州で何があっても、たとえ仲間が死んでも駆けつけてはいけない。
己の役割を遂行すること。

高杉は常に先を見ていた。戦に勝ってその勢いで江戸に乗り込み倒幕。
他の人が聞いたら馬鹿な話だと呆れることだろう。だが、そんな馬鹿な話を高杉は本気で達成させようと
していた。


なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり


1通の文がきた。それには短く、上杉鷹山の歌が載っているだけだった。
それで十分だった。
やらなくてはならない。やらなくてはこの国は支那と同じ末路をたどる。
この国が滅亡を迎えれば、私たちは死んだも同然である。
そんな国で生きたいとも思わない。

結局は自分自身が生きたいがために戦っているのかもしれない。
この国のため、この国の人々のためというのは後からのこじ付け。

他人のためではなく、自分のためになる。

この歌にはそういう意味がこめられている。


その意志が痛いほどわかる。常に高杉と一緒にいた。
明倫館、松下村塾、奇兵隊の発足、脱藩、すべて一緒に行ってきた。
だから、高杉がやりたいこともよくわかる。
長州を発つ前に話し合った。
そして、私は戦の支度を整え江戸で待つと約束した。

待った。
しかし、待てども待てども高杉たちは来なかった。
音沙汰もなかった。

こちらから便りを送っても返事はこなかった。

長州に戻ろうかと何度も考えた。しかし、戻っている時に高杉が江戸に着たらと思うと動けずじまいだった。
約束もある。動くわけにはいかない。


だがある日、動くきっかけが届いた。
手紙だ。
差出人は中岡慎太郎。
たまに手紙のやり取りをしていた。内容は大体いつもこの時勢について。
だが今回の内容は高杉のことだった。

病状がだいぶ悪化してしまい、起きるのも辛いとのことらしい。
読み終わった手紙を握り締めながらゆっくりと立ち上がった。


行こう。

約束に縛られている場合ではない。
は数名の手足れを連れて藩邸を出た。

確か横浜港から下関まで行く船があるはずだ。
乗り換えは多そうだが陸路で行くよりは早く着く。
とにかく、早く高杉に会いたかった。
様々な思いを抱いたまま、とにかく先を急いだ。





















「困ります」
「私は困らない。高杉は奥か」
は履物を脱ぎ中へ入っていくと、後ろから制止の声とともに裾を掴まれる。
「悪いようにはしない、相手は・・・病人だからね」
振り向き苦々しく微笑んだ。相手の女子はスルスル手を離し、俯いた。
「旦那はんは・・・奥の部屋どす」
女は震えながら言い、手を組みゆっくりと横によけた。
「ありがとう」
は女の肩にポン、と手を置き奥へと向かった。










「お前・・・っ」
高杉はの姿を見た瞬間、持っていた筆を床に落とした。
驚いた表情で、体も硬直していた。
ここにいるはずもなく、来るはずもない人間が目の前にいたのだ。驚くのも無理はない。

は一歩部屋に入り言った。
「おうのさんがいるなんて聞いてないよ。雅子さんは?」
先ほど玄関で会った女は高杉の妻、雅子ではなく、愛人のおうのだった。

「あ、・・・あぁ、雅子は父上のところじゃ」
「あっそう」
「あっそう、とはなんじゃ。おぬしが聞いてきたんじゃろ」
「興味がないからそう答えたの。私が、本当に聞きたいことは唯一つ」
は部屋に入り込み、高杉に近づいた。
瞬間、高杉は大声を上げた。
驚いておもわず立ち止まる。
「近づくな!ここから立ち去れ!」
凄く恐ろしい形相で睨みつけてくる。
「立ち去るよ。でも、あんたも一緒に連れて行く」
約束を忘れたわけではないよね。
そう問いかけると、高杉の表情は一変し曇る。

労咳である時点で、もう二度と戦場には立てない。
それどころか、普通の生活をすることもできない。

伝染病だからだ。
労咳の人のそばにいれば、いずれうつってしまうことであろう。
医師にも治すことのできない不治の病。
だから、人と生活することはできない。

江戸に出て戦をするなんてもってのほかだ。

無理をすれば、それだけ死期も早まる。
高杉は今、約束どころではないのだ。


でも、

はそんなことは知らない。

実際は知っているのだが、高杉が何故か私に対して労咳のことを隠している。
だから知らないことになっている。
どうやら藩内中に口止めをしているようだ。
高杉の病のことを聞いたのも、同じ藩内の人からではなく中岡からの情報だった。

「もう一度言う。高杉、あんたを江戸へ連れて行く」

念を押し言った。行けないことを分かっていて言っている。

今日ははっきりさせるためにきた。
高杉の口から病のことを告げてもらい、この先残される私たちはどうしたらいいのか。

江戸で引き続き活動をしてもいい、やめろというならやめてもいい。
外国に行けというなら行くし、あんたのもとを離れて桂さんのもとへ行けというなら行く。


もし、

生を投げ打って


一緒に死んでほしいといわれれば、死んでもいい。



覚悟はとうにできていた。
それだけの考える時間は十分にあった。
あとは決定を下されるのを待つだけ。
は高杉から発せられる言葉を待った。



「…わかった。江戸へ、行く」



高杉が静かに言い、立ち上がった。近くに掛け置いてあった刀を腰に差し、上着を羽織っている。
はその行動を目を見開き凝視していた。

この男は、今何をしている。

なんと言った。
江戸へ行く?正気か?

頭で理解が追いつかない。

「おい、何をしちょる。さっさと行くぞ」
そうこう考えているうちに高杉は支度ができたようでの横をすっと通りすぎた。
慌てて後を追う。

玄関先に立っていたおうのやの仲間は突然出てきた高杉に驚いた。
「旦那はん!何してはります。部屋へお戻りください」
「悪いな、おうの。少し江戸へ出てくる」
草履を履き、おうのの静止を無視しどんどん先へ行く。
は呆然としている仲間に声をかけ「行くぞ」と急いで追いかけた。



本当に高杉は労咳なのだろうか。
今、目の前に歩いている高杉はちっとも病の気配を見せない。
足取りもしっかりしていたし、顔色も少し白いが悪くはないと思う。

「高杉」
「なんじゃ」
「私に言うことがあるんじゃない?」

前を歩く高杉は振り向かず「何も言うことを思いつかん」と言った。


「野村たちは先に行って船の手配をお願い」
了解しましたとたちのもとを離れ走っていった。

仲間の姿が見えなくなったところでは再び話しかけた。
「白石邸にいたんだって?またなんで萩じゃなく赤間関にいたの」
「なんとなくじゃ」
「じゃあ、散々渋っておいて今更なんで江戸に行くって言い出したの」
「なんとなくじゃ」

誤魔化されている。
この先何を聞いてもきっとはぐらかされる。
そう思ったは大きな溜息を吐いた。

「お前、聞きたいことは一つっちゅうとらんかったか?」
高杉は立ち止まり天を仰いだ。
今日は暑いのう、と顔に当たる日光を遮るように手をあげた。
「…じゃあ、聞いたら答えてくれるの?誤魔化さない?」
「問い次第じゃ」
歩いていた足を止めて振り返った。
とりあえず言ってみろとばかりに腰に手を当て、顎で使う。

言葉は選んでいた。
神経質な問題だから、いきなりこの問題に触れるのはあまりにも無神経だと思っていた。
だが、どうせ聞くことになるのだ。
だったら、あれこれ小細工せずその問いだけを投げればいい。

答えてはくれないだろう。私に隠していたくらいだ。
それでも、聞かなくてはいけない。
聞かなければ、自分はどうしたらいいのかわからない。

「私には高杉が必要なんだ」

一歩一歩近付く。高杉が静止を叫んでいたが、耳に入ってこなかった。
高杉の顔だけを見て、徐々に距離を縮める。

「だから、あんたが死ぬっていうなら一緒に死ぬよ」

高杉は目を見開いた。
「なにを…いっ、ちょるんじゃ」
「あんたの頭なら、私が何を言わんとしているのか薄々気付いてるんでしょ」
は懐から扇子を取り出し、高杉の胸を小突いた。
「労咳」

風が二人の間を通り抜ける。
今まで止まっていた時が再び流れ始める。

「どこでその話を聞いた」
「中岡さん」
「…これだから他藩は」
「たーかーすーぎー」

舌打ちする高杉に扇子をさらに突きつける。
「そうじゃないでしょ。どうするのさ」
「さて、どうするかのぉ」
高杉は突きつけられた扇子を握り、開いた。
中には以前己が書いた上杉鷹山の歌が載っていた。手紙と共にに渡したものだ。

「ま、この通りじゃ。なせばなる。俺はもう成した。やることはない」
扇子をたたみ、今度は逆に突きつけられた。
「だが、お前はまだ成してない。どうしても一緒に死ぬっちゅーならやることをやってから来い」
がゆっくりと手を上げ扇子を受け取ると、高杉は再び前を向き歩き出した。

もう、この世には未練がない。
先に行く高杉の背中は哀愁を漂わせていた。

考える時間は腐るほどあった。私は覚悟を決めていた。
でも、高杉にも同じ時間が流れていることを忘れていた。

考える時間は同じくあったんだ。
高杉は死を受け入れていた。

お互い覚悟は決めていた。

でも、



そのことを知ったら無償に







悲しくなった。






泣きたい衝動に駆られた。
死に向かい歩いている。

私を置いてこの世を去ろうとしている。


息が苦しくなった。
後姿をとらえていたこの視界も徐々に歪み始めた。


そうか、この視界からもいなくなってしまうのか。
捉えることも、触れることも、声を聞くことも何も出来なくなる。

は目を擦り、走り出した。
目の前の人物に向かって。

そして、手を伸ばし後ろから勢いよく抱きついた。

「…なっ、やめろ、離せ!」
そんな忠告を聞かずは首を振った。
「こんなことをしたらっ…!」
「うつってもいい!高杉がいないこんな世なんていらない!いたくない!!」
「…お前」


こみ上げてくる涙を止めることができなかった。
どうしたらこの人を、ここにとどめておくことができるのだろう。
どうやったらこの人を掴んでおくことができるのだろう。

こう考えている今も手から零れ落ちる水のように命が流れ落ちていた。
もう止めることはできない。

高杉の手がそっとの手に添えられた。

「これ以上、俺の気持ちをかき乱さないでくれ」

お願いじゃ、という言葉は震えていた。

この、長いようで短かった期間に高杉は相当の葛藤と戦っていたのだろう。

生きたい。こんなところで死ぬのは嫌だ。辛い、助けて。

そんな言葉を、苦しみを誰にも言えず、ただ耐えていた。
何度も何度も叫びたい衝動に襲われた。
それでも、叫ばなかったのは周りの目があったから。
強がっていたのかもしれない。
死ぬ時もなお己の流儀を通したかった。
弱い自分は見せたくない。だから耐えなくては。

そうずっと言い聞かせてきたのかもしれない。

そんな高杉に

泣いてもいい。叫んでもいい。


そう言ってあげたかった。

だが、それを許したら高杉が壊れてしまいそうで怖かった。
だから、ただ「ごめん」と呟くことしか出来なかった。




「心はお前に預けてく。じゃけぇ俺は死なん。お前が生きてるかぎり俺は死なん」

私は死ぬなと遠回しに言ってるのだろう。

「ははっ、そんなこと言われたら一生死ねないじゃない」
は苦笑いしながら高杉から離れた。

高杉は振り返りと向かい合った。
「俺は、江戸へは行かん」
「…うん」
「じゃが、俺の心はお前と共にある…じゃけぇ」

頼んでいいよな?

この国を。


この国の人々を。



真剣な面持ちで言う高杉に、は笑顔を向けた。
「私一人じゃどうしようもないかもしれない。でも、高杉も一緒だから大丈夫。
あんたがいれば百人力だよ」

「そう…だな。一人じゃない、お前がいる、皆がいる。俺は一人じゃない」

そうか、そうだな、と呟き突然高杉が笑い出した。
は意味がわからず首を傾げてると高杉は手で追い払う仕草をみせ
「ほら、さっさと行け。俺たちにはやることがまだまだ山ほどあるんだ。
こんなところで立ち止まってる場合じゃねえ」
と言った。

ふっ切れた。
お互いの辛さが、消え去るような感覚。
お互いに一人じゃない。
たとえ離れていても、心は共にある。
一緒にいられる。



遠くからを呼ぶ声が聞こえた。
先ほど頼んでおいた船の用意ができたらしい。

「もう行くよ」
離れるのが辛くならないうちに。
この、温かい気持ちのうちに。

は高杉に背を向け歩き出した。
一歩一歩未来に向かって。


!」

後ろから声をかけられた。
振り向かずに何?と答えた。

「仲間だからじゃない、お前だから預けるんだ。わかるな?」
「…うん」
「じゃから、全部終わったら俺はお前を抱く」
「………何言ってるんだか」

は苦笑いしながらさらに一歩一歩踏み出し


「覚悟…しとくよ」

と手を振り上げて答えた。







それからしばらくして、大政奉還がなされた。
王政復古も発せられ、急激に日本と言う国が動き始めた。



高杉の死は長州(くに)から聞いていた。
死に目に会おうとは思わなかった。同時に、墓にも行く気はなかった。

なぜなら、高杉は死んではいないからだ。
私と共に生きている。
そして、これからも共に生きていく。

まだまだ、やることがある。
立ち止まって入られない。


懐から扇を出し、ひろげた。


なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり


「まだ、死ねないね。先は長そうだよ、高杉」

扇にそう呟き、私は近くにいた仲間の下へ走り出した。





     完
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