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あの二人を残したことに少し不安を覚えつつ陸遜を捜していた。

ふと中庭を見ると階段のところに座っている一つの影を発見した。

陸遜である。

は後ろから近づき声を掛けた。

返事はない。

聞こえる声で話しかけたのだから返事がないということはつまり、話をしたくないということだろう。

は一瞬ためらったが、階段の方へ行き隣へと少し間を空けて腰掛けた。

一人にしたくないという理由で来たため何を話すかまでは考えていなかった。

さすがに今、村のことを出すわけにもいかない。


ふと、先ほどの会話を思い出し訊ねてみることにする。

「孫権様のこと、もしかしなくとも嫌いなんですよね」

陸遜をちらっと見る。陸遜は目を瞑り溜息を吐く。

「だとしたらどうだというのですか」

「どうって言われても・・・、では何故嫌いなのですか?」

「・・・・・答えたら何かこちらに利益でもあるのか?嫌いだという気持ちを再確認するだけです」


完璧に心を閉ざしてしまったらしい。

ふと思った。

普段は心を開いていたのだろうか。

確かにふざけ具合はすごいけど、振り回されている感じもあったけど、そのときの陸遜は本当の陸遜ではないと

感じていた。仕事をしている時は素状態だから、これが本当の陸遜だと思っていた。

思い込んでいたのだ。

素だからといって、心を開いているとはいえない。


陸家の代表として仕事の失敗は許されない。

だからこそ、仕事には本気で取り組んでいた。

ただそれだけだ。


人を信用することができないと陸遜は言う。

信用できない相手に心を許すはずもない。

どうして気づかなかったのか。

今まで一度だって心を開いていなかったのだ。

気を張る毎日だったのではないのか。

どんなに楽しくても、どんなに苦しくても、心は開かない。

そのような日常、どこが楽しいのか。辛いだけではないのか。

それとも、辛くても心を開いてはいけない理由でもあるのか。

「辛くないですか?」

突然何を言い出すのかと、陸遜はに顔を向ける。

「私は貴方に辛い想いはしてほしくない」

陸遜と兄を重ねていた。

もし、今、兄が辛い想いをしていたらと思うと自分も辛かった。

だからせめて、兄に似ている陸遜が幸せになってくれたなら兄も幸せになれると自分勝手な想いを

つのらせていた。

「何を考えているかわかりませんが、勝手に私の気持ちを決め付けないでいただきたいですね。

いつ私が辛いと言いましたか?」

「では辛くないのですね?・・・・・よかったぁ」

ほっとして、笑みをこぼす。

「・・・・・・・・」

表情を強張らせていた陸遜は大きくため息を吐くと、表情を緩ませた。

「まったく・・・あなたって人は」

陸遜は腕を伸ばしの腕を掴むと、自分の方へ引き寄せた。

体勢を崩したは陸遜のもとに埋まる。

「敵いませんね。・・・本当、決心が鈍りそうだ」

「陸遜殿?」

「あなたが浮かべたその笑顔は私に向けられたものなのに、私が手にすることはできない

・・・・・手に入れたくても」

顔を見ようと身体を起こそうとしても、背中に腕を回され身動きがとれないでいた。


は声から感じ取っていた。

やはり陸遜は何かに苦しんでいる。

それが何かはわからない。

ただ何かをしようとしているのではないか。その何かのために辛い想いをしている。

心を閉ざしてまで・・・。


すべては推測に過ぎない。

ただ、可能性も否定できない。

今の自分には何もできないのか。


は腕をそっと持ち上げ同じように陸遜の背に回す。

びくっと振動がきたが、しばらくして強く抱きしめられた。

「・・・ひとつ、お願いを聞いてくださいませんか」

は眼前に広がる階段をぼうっと見ながら耳を傾ける。

「陸遜、と呼んでいただけませんか」

「・・・・・・・・」

「今宵だけでいいのです。・・・・・今宵だけは、夢に・・・酔っていたい」

戸惑いはしなかった。求めているのなら応えてあげよう。今自分にできることはこれしかないんだ。

は顔を少し起こし、耳元まで口をもっていって小さな声で言った。

「陸、遜・・・・・陸遜」



瞬間、涙があふれ出た。

もう一度陸遜と呼べば、と返してくる。

は陸遜の肩に顔をうめ、名前を再び確認するように呼んだ。

「陸遜」

―――私は、昔からこの人物を知っている。




























太鼓を鳴らし、合図を出す。魚鱗から鶴翼に陣形が変わり、弓兵が両翼へ素早く配置される。

次の合図を出せば、そのまま走りこみ中央をあけると同時に、第二陣である騎馬隊が縦に陣形をとり突っ込む。

針を刺すような鋭さであった。

第二陣の先頭で走っていた陸遜は、隊から抜け出し、後方でその様子を見学していた孫権のもとへ駆け寄る。

馬から降り片膝をつき、拳と平手を前へ出し合わせ頭を下げる。

「ご足労ありがたく存じます。ご覧のようにこの軍はいつでも戦える状態にあります。いざという時には

殿自ら指揮を振って頂きますようお願いしたい所存です」

「うむ。しかしすごいな、この軍は。動きにまったく無駄がない。美しくさえ思う」

孫権は満足そうに微笑み隊の方へ目を向けた。

陸遜はありがとうございます、と言うと口に笑みを浮かべた。

ここまでは予定通りである。陸遜は腰にある柄に手を伸ばし握って心の中で呟く。


『どうか、私に力を分けてください』









二日前

夜も中盤を迎えた頃、自分の部屋へと静かに入る。

凌統の寝台の方に目を向けると、壁の方を向いて寝ている姿を確認した。

近くにより頭を下げごめんなさいと呟く。

自分の寝台のほうへ行こうと踵を返すと一本の竹簡が置いてあった。紐を解き中を読み驚く。

確かにこれは机の中へしまっておいたものだった。何故ここに置いてあるのか。

「何故・・・・・」

「私が置いたんですよ」

声がした方へ振り向く。凌統が起き上がってこちらを見ていた。

「その竹簡は私が魯粛殿に頼んだんですよ。陸遜に渡してくださいって」

「どういうことだ?」

「・・・私は知っていた。どうして八崙村が襲われてしまったのか。それには政治的な理由があったことも」

「すべて、知っていた・・・」

凌統は頷き、最初からお話しますと語りだした。



二回目の黄祖討伐が整えられていた。一回目は山越族の反乱のため、引き上げなくてはいけなくなったが、

今回はそのような心配はなくなった。

一回目の黄祖討伐時において、父、凌操を失った凌統は敵討ちとして今回も戦に加われることとなった。

しかし、父の敵であるはずの黄祖軍であった甘寧が寝返ってきて、しかも今回の戦に加わることとなったから

凌統は反発していた。

「何故あんなやつを戦に加えるんですか!あいつは、父を殺したんですよ!?」

「落ち着け凌統。今回の戦、敵軍のことを知っている甘寧を入れるのは当然だろ」

「しかし・・・!!」

「それに凌操を殺したのは甘寧ではない。甘寧の下についていた兵であるではないか」

「っ・・・そ、うですが・・・」

「決定を覆すことはない。今回は我慢するんだ」

上官に言われても納得できるものでもない。甘寧の兵がというなら、上官である甘寧の責任ではないか。

あいつが命令したから父は矢で射抜かれた。やはり、やつは父の仇だ。

直接殿に話すことができれば、甘寧の処罰を許してくれるかもしれない。

殿に会いに行こうと、この場を離れ城の廊下を走る。

ふと、中庭を見ると殿と魯粛がいた。会話は遠すぎて聞こえないが、魯粛は叫んでいるようだ。

しばらくしてあきらめたように中庭から去っていった。何かわからないが話しかけるなら今だと、近寄ろうとすると

今度は横から周瑜と張承がきた。

どうしようかとなんとなく柱に隠れる。先ほどより近づいたため会話が聞こえてきた。

「建業より少し北のほうに行った所で不穏な動きがあるとの情報を得ました。黄祖討伐は慎重にいきたいところですので

今回の戦、少し待ってもらえませんか」

「何を今更・・・族はもう抑えた。これ以上待てるものか」

「しかし殿。周瑜殿の話はもっともです。どうでしょう、一度偵察に出してみては。その後で戦をしたところで

遅くはないでしょう」

「そう、だな。よし、私の方で偵察を出しておこう」

「申し訳ございません。前例があったものですから慎重すぎて丁度いいのだと思います。では、失礼いたします」

周瑜が中庭から去っていった。残された二人を凌統は柱から見ていた。

周瑜の姿が見えなくなったところで二人話し出す。

「一応偵察は出しておけ。どのくらいになったか気になる」

「さすがに周瑜殿は手厳しいですな。もう、北の不穏な動きの情報を手に入れている」

「まぁ、周瑜だから当然だと思う。これも予測の範囲内だ」

「族の抑えは予定通り呂蒙をあててよろしいですね?」

「ああ、すばやく終わらせこちらに合流するよう伝えておけ」

どうやら聞いてはいけない話を聞いてしまったようだ。

これ以上ここにいては身が危ないかもしれない。隙をみて逃げ出そうと思った。

「張承、私がやろうとしていることは間違いではない、よな」

「殿、世の中には正解なんてものはありません。ただ、今回の反乱はこの孫呉にとって必要なものです」

「族を完膚なきまでに叩きつければ周りも理解する。二度目は許さないと」

「あとは村一つ破壊されたところを呉軍が助けに行けば、どんなに小さな村であろうと孫権様は目をむけ、

助けてくださると民衆にわからせることができます」

「孫呉を揺るぎないものにするのに必要・・・か。できれば村人の犠牲はあまり出したくない」

「そこは呂蒙の腕次第でしょう。あと私たちができることは・・・」


孫呉のために、一つの村が潰される。しかも、聞いている感じでは、周瑜はこの話を知らない。

この国は今、孫権と周瑜が上に立ち成り立っている。

今回のことは孫権の行き過ぎた行動ではないか。

自分が口を出せるものではないが、村を一つ潰すのは良くないと思う。

このまま黙視するべきか。

罪なき民の犠牲は許されない。

凌統は心を決め、この場から去った。

行き先は周瑜のもとである。


兵から城の外へ向かったことを聞き、外へ向かう。

すると、丁度出ようとしている周瑜を発見した。

「お待ちください、周瑜様!」

走って近寄り片膝をつける。

「そなたは?」

「お初にお目にかかります。凌操の息子、凌統にございます」

考えてみれば周瑜と面識がなかった。我ながらすごい行動を起こしているなと思う。

「あぁ、お前がか。前回は不幸であったな。そなたの父は、武に名高い勇将であった。私もあの方の武は

見習いたいと思ったほどだ」

「ありがとうございます。父上も天で喜んでいることでしょう」

凌統は思い掛けない言葉に涙しそうになったが抑え、周瑜に顔を向ける。

「周瑜様、大切なお話がございます。ただ、ここでは少し・・・」

さすがにここで話すわけにはいかない。他の兵もいるし、どこからこの話が洩れるかわからない。

周瑜は頷き言う。

「これから、船の方へ行かなければならない。そこでなら聞くことはできる。それでもよいか」

「はい」

もはや、甘寧のことは忘れていた。




大船の方に案内され、一室に通される。

二人きりになり緊張した面持ちで凌統は口を開いた。

「北に不穏な動きがありますよね」

「あ、あ・・・確かにあるが、何故そのことを」

「それは、殿が仰いでいるためでございます」

「何?殿が?」

凌統は聞いた話をすべて話した。

「村人を危険にさらしてまでやることではないと思うのです。しかし、私にはどうすることも・・・。

周瑜様に言えば何か良い案が出るかと」

「うむ。確かに殿のやろうとしていることは止めねばなるまい。しかし殿に気づかれずことをやるのは

些か難しいな」

「殿を説得されないのですか?」

顎に手を当て考え込む周瑜に疑問をぶつける。周瑜なら止めることができるはずだからだ。

「止めることはできるかもしれない。だが、その情報を私がどこから手に入れたかが問題になる。

殿はどこから洩れたか調査を始めるだろう。そしてお前に行き付く。お前はどうなる?」

「無事では済まされません」

注意を払って中庭から離れた。こうして周瑜とも二人きりで話している。注意は払っていたはずだが

よく考えてみれば今まで顔を合わし話すことのなかった二人が、急に密室で話しをするのはおかしい。

調査されたらすぐこのことがわかり疑い掛かってくることだろう。

「書状で申し上げるべきでした」

もう少し考えた行動が必要だと気を落とす。

「気にするな。普通そこまで頭は回らない。でも、今回のことを当たるとなると細部まで

頭が回る者を当てないとな」

「いらっしゃいますか?」

「一応な。まだどのように扱ったら良いかわからぬものが一人。見極めるには丁度良い任務であろう。

と、そうだ、凌統」

「はい?」

思い出したかのように呼びかけられて何事かと思う。

「今回のことだが・・・」

黙っておくようにと言われた。二人だけの秘密だと。今回の任務を与える相手にもこのことは伏せて

当たらせるとのこと。あとのことはすべて周瑜に任せるしかなかった。


そして起こったのが八崙村での反乱。

反乱は最小限に抑えることができた。ことが大きくなる前に陸遜が鎮圧させたからだ。呂蒙はもう少し反乱が

大きくなるまで待っていようと思っていたらしく、結局何もしていない。鎮圧させられてしまったからだ。

とにかくどうするべきか迷っているところでを発見した。そして、城へと送り黄祖の戦いへと加わった。

後日、周瑜の方からその話を聞き、やはり民の犠牲は出てしまったかと落胆した。

孫権の計画は失敗。民の犠牲は最小限で済んだ。しかし、意味のない犠牲となってしまった。







「これが、八崙村に関わる私のすべてです」

凌統に言われ、陸遜は竹簡を強く握り締めていた。魯粛のこの竹簡に書かれていた通りの内容だった。

「私は、この竹簡を手に入れた時、どうしたらよいものかと思った。だが、もう心には決めていた」

凌統に背を向け言う。

「止めたければ全力でこい、凌統。私はもう迷わない」

凌統は心を決め話してくれた。あとは自分が心を決め決行するだけだ。

陸遜は肩に手をあてた。

まだ少し湿っている。

が泣いた跡だ。何度も陸遜の名を呼んでいた。


昔のように陸遜と。


それは思い出したかのような感じで、そのまますべてを思い出してほしいと自分もと何度も呼んでみた。

だが、まだ思い出してはいなかった。

それならそれでいい。

私は、殿に復讐をするだけだから・・・。













「どうしたのだ、陸遜?」

「いえ、少し。そういえば殿、殿の仕事の方はどうですか?」

?何故突然の話が出てくる」

戦とは関係のない話が出て、孫権は目を細め陸遜を見てきた。

陸遜に対し、何か用心をし始めた証だ。

しかし、これも予定通りの反応。気にせず話をする。

「殿はお忘れかもしれませんが、殿を殿の下女にとお願いしたのは私でございます。その殿が今となっては

文官へと育ち、孫呉のためにお役に立っていること。殿とは会うべき運命にあったのかもしれません」

「・・・・・何が言いたい」

「このまま、呂蒙殿と一緒にさせてもよろしいものかと。殿は魯粛様の後継者です。何かと都合が悪くなるのでは

ありませんか?」

「・・・情報が洩れるとでも?」

「用心に越したことはありません。私は、殿さえよろしければずっと手元に置いておくのがよろしいかと思うのですが

・・・・・嫌なら仕方ありませんがね」

を手元に、か。考えたこともなかったな。・・・いや、だがそうするとは・・・・・」

手元に置いておく、自分のものにしてはどうか。つまりは正室に迎えてはどうかと投げ掛けたのだ。

孫権もちらりと頭をその言葉がよぎったはずだ。難しい顔をして唸り出したのがそのことを示している。

今はそうやってを意識させることから始める。

私が放った矢から毒が徐々に身体に回るように。







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あとがき

凌統の役目終わりました。八崙村(実際はそんな村ありませんよ?)での反乱に凌統が関わっているってのは始めから
決めていたのでどこでそのことを出すかが迷いました。本当は呂蒙とが再び以前のように仲良くならせてから
出そうとしましたがそんなんじゃ永遠に軍師革命終わんないってことで早々に出しましたよ。この先凌統はちょい役程度で
出します。気が向けばどんどん出す可能性も無きにしも非ず。とりあえず呂蒙を今度は沢山出したいです。
陸遜始動し始めました。あれ?これ呂蒙夢じゃなく陸遜夢?的な展開ですが、ええ、これは凌統夢です(爆)←嘘
次回がついにあの方と初対面!?苦笑いの連続ですよ。・・・きっと(話まだ作ってないので 爆)
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